店長が行った教会の写真。ドミニカ共和国 |
店長が浮かない顔で、私に伝えたのは
両親のお友達の中西さんの他界でした。
まだとても若く、亡くなられた死因もわからないというくらい綺麗なお身体でお亡くなりになったそうです。私もお話をさせて頂いたことが何度かあった方だったので、とってもショックでした。
中西さんは教会の幼稚園で働いていた方で、よく月船へ素敵なメールを送ってくださっていたんです。亡くなる前には、こんなメールを送ってくださいました。
『それから、先日お話したコルベ神父の名前のついた教会というのは、
正しくは、お名前のついた聖堂で、コルベ神父の遺品も納められています。
告別式でうかがったので、そちらの見学はできなかったのですが、
現在こちらの多摩教会の主任司祭の晴佐久神父様は、とてもユニークで、情熱的な活動をされる方で、書かれる詩もとてもよいです。
さて、この日参列したのは、幼稚園を長年担当してくださった写真屋さんのご葬儀だったのですが、わたしが突然幼稚園の仕事をすることになって、運命にも環境にも大いにとまどい、またどの保護者や先生からも恐がられている、事務の先生の後任として仕事を引き継ぐという、いわば非常に厳しいお姑さんと二人で過ごす毎日に入った時、ふたつのことを教えてくれた写真屋さんでした。
「たとえばね、茶碗を割ったとするでしょう?そうしたら、ああ、瀬戸物屋の娘が、茶碗が売れるように、って神さまに祈ったんだなあって思うんだよ」
「神父っていうのはね、神さまに近づこうと努力をしている人たちなんだよ(ゴールした人たちでなく、努力中)」
ここまでわたしが仕事を続けられてきたのも、
こうしたあたたかい応援の寄り添いがあってこそでした。
と、朝からおしゃべりが長くなりました。
どうぞ今日も月船のみなさんにとってすばらしい一日となりますように。』
私は、 「たとえばね、茶碗を割ったとするでしょう?そうしたら、ああ、瀬戸物屋の娘が、茶碗が売れるように、って神さまに祈ったんだなあって思うんだよ」という言葉に感銘を受け、
なんだかこういう物の考え方なら私にも出来るかもしれないっ!
こういう気持ちで毎日を過ごせる自分になりたい!と先日思ったばかりでした。
悪いことが起きても、それを良き方向に考えることによって、自分も救われますよね。
今回の件もとても悲しいことだけれど、とても美しく、多才な方だったので、きっと神様が必要とされたのでしょう。そう思うと、中西さんが笑ってくれるような気がします。
最後に、いつも素敵なメールや優しさを送ってくださった中西さんに感謝を込めて・・・。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
裕子