
2013年2月13日 ひふみの数が入ったこの日は、数霊的には国産みの日だそうです。また、昨年大いに騒がれたマヤの暦に寄りますとKIN1の日でありまして「初めての物事の始まり、それは天からの贈り物」の日でした。月船におきましては定休日ではございましたが、その日静かにこんな会が始められました。
都了中さんを応援する会の発足でございます。一中節の後継者として嘱望される
都了中様でございます。なぜ、国立で、なぜ私達が世話人を受けたまわったかは全く解りません。
そもそも一中節というのは・・・詳しいことは何れ専門家にお願いして。江戸時代は一中節の教本が各家庭にあったと言われるくらい流行ったそうです。
三味線音楽の一流派。初世
都太夫一中が,
元禄の末ごろ
上方で語り出したもので,のち
江戸に
普及した。
古浄瑠璃時代の
語り物には
長編のものが多かったが,その
一部分,景事や
道行などを,ウレイのかかった節で語り,またユリを
巧みに用いたのが流行の
原因と思われる。
初期のころは
歌舞伎の
舞台に
出演したが,まもなく離れ,限られた
町人上流社会で
伝承された。それだけに
純粋性が保たれているといわれる。その後一時
衰退したが,5世一中が
再興,
現在にいたっている。
しかし、少しづつわかってきた事があります。
了中さんのおじい様 人間国宝
故寶 山左衛門は戦時中国立市に疎開されていたそうです。お弟子さんも多数疎開されており、国立で演奏会が立派に出来るような人数だと話されていました。もしかしたら国立で始ったのはそんなエネルギーの現れなのかもしれませんね。
都 了中さんの教室
何れ国宝となっていかれることでしょう。